King & Princeの永瀬廉さんといえば、テレビで関西弁がふとこぼれる瞬間が印象的ですよね。
でも、公式プロフィールには「東京都出身」と書かれています。
「あれ、東京出身なのになんで関西弁?」と思ったこと、ありませんか?
実は永瀬さんは、幼少期から転勤族の家庭で育ち、日本各地を転々としてきたバックグラウンドを持っています。
そしてその中でも、大阪府・八尾市(やお)という街は、永瀬さんにとって特別な意味を持つ場所なんです。
永瀬廉にとって八尾とはどんな街?「東京出身」なのに「気持ちは大阪」のワケ
転勤族として日本各地を転々とした幼少期
永瀬廉さんのSTARTO ENTERTAINMENT公式プロフィールには「東京都出身」と記載されています。でも、本人が過去のインタビューや番組で語った居住歴はこんな感じ。
| 時期 | 居住地 |
|---|---|
| 生まれ〜幼稚園 | 東京・名古屋 |
| 幼稚園〜小学2年 | 大阪(八尾) |
| 小学3〜5年ごろ | 北海道 |
| 小学6年〜高校1年 | 大阪(八尾) |
| 高校2年〜 | 東京 |
2026年3月放送の『アナザースカイ』の関連報道によると、永瀬さん自身が「東京、名古屋、大阪、北海道、大阪、東京」という順で住み替えてきたことを明かしています。
幼稚園も小学校も転校を繰り返してきた永瀬さん。その中で、八尾は大阪時代に最も長く暮らした街になっています。
八尾は「3年間ずっと同じ学校に通えた唯一の街」
転校を繰り返してきた永瀬さんにとって、八尾の中学校は特別な場所でした。
それは、生まれて初めて、入学から卒業まで3年間ずっと同じ学校に通い続けることができた場所だったから。
幼稚園でも小学校でも、友達ができるたびに別れを繰り返してきた。
そんな経験を重ねてきた永瀬さんにとって、「3年間、同じ仲間と過ごせた」という事実がどれほど大きかったか、想像するだけで胸が熱くなりますよね。
「オフィシャルは東京。気持ちは大阪」発言の真意
永瀬さんの「地元愛」が伝わる言葉として有名なのが、2022年放送の『秘密のケンミンSHOW極』での発言です。
「オフィシャルは東京。気持ちは大阪です」
さらに、2023年の大阪での映画舞台あいさつでは「大阪に8年間住んでいた。地元といったら大阪と言いたいくらい、特別な場所」「帰ってきたという感覚がある」とも語っています。
生まれは確かに東京。でも、「心のふるさと」は大阪・八尾。その一貫したスタンスが、永瀬さんらしさのひとつでもありますよね。
永瀬廉の八尾・中学時代の素顔|恩師・親友・青春エピソード
ここからは、永瀬廉さんの中学時代のリアルな素顔に迫っていきます。
2026年3月に放送された『アナザースカイ』でたっぷり語られたエピソードをまとめていきますね。
成績・部活・ちょっと笑える校則破りエピソード
まずは成績から。5教科合計で435点というから、かなりの優等生ですよね。
部活はサッカー部に所属していました。体を動かすことが好きだったんですね。
そして、ちょっと笑えるエピソードも。携帯電話を学校に持ち込んでしまい、先生に没収されたことがあったそう。
その際、自分のせいで先輩たちまで連帯責任で走らされてしまい、「責任」というものを身をもって学んだと振り返っています。
また、中学1年から芸能活動を始めたことで、日常がじわじわと変わっていった時期でもあります。
音楽のテストで『蛍の光』を歌った際の周りの反応を「だるかった」と苦笑いしながら語っていたのも、なんともリアルで親近感が湧きますよね。
1年から3年まで同じ担任だった恩師・右近先生との絆
中学時代のエピソードで特に胸に刺さったのが、担任の右近先生との関係です。
右近先生は1年から3年まで3年連続で永瀬さんの担任を務め、さらにサッカー部の顧問でもあったという、まさに青春時代の中心にいた存在。
そして驚くのは、今もその関係が続いているということ。大阪に帰るたびに一緒にお酒を飲みに行く仲なんだそう。
転校を繰り返してきた永瀬さんだからこそ、「3年間ずっとそばにいてくれた大人」の存在は、格別に大きかったんじゃないかな、と思います。
2026年3月の『アナザースカイ』では、番組のために母校を訪れて恩師と再会するシーンも放送されました。
親友・西山さんの実家「お好み焼 とも」|永瀬廉がアナザースカイで訪れた聖地
『アナザースカイ』の放送後、ファンの間で話題になったのが、永瀬さんが中学時代から通い続けているという八尾のお好み焼き屋さん「お好み焼 とも」。
このお店は、番組内で集まった親友・西山さんの実家のお店なんです。
番組では、恩師の右近先生や西山さんと一緒に訪れ、昔話に花を咲かせる場面が放送されました。
| 店名 | お好み焼 とも |
| 住所 | 大阪府八尾市明美町1-8-26 |
| 営業時間 | 16:00〜22:00 |
| 定休日 | 月曜日 |
中学時代から今もこうして変わらずつながっていられる仲間がいること、永瀬さんにとって八尾という街がどれだけ特別かが、このエピソードひとつからも伝わってきますよね。
MOVIX八尾は「覚えている最古の映画鑑賞」の場所
八尾との結びつきは、映画館にも。
2026年3月30日、映画「鬼の花嫁」(原作:鬼の花嫁)の大阪舞台あいさつがMOVIX八尾で行われました。
その席で永瀬さんが明かしたのが、「ここが自分の記憶に残っている一番古い映画鑑賞の場所」だということ。
小学1〜2年生のころ、お母さんと友人と一緒に来たのが、映画館の記憶の始まりなんだそうです。
MOVIX八尾が入っているアリオ八尾についても、「むっちゃ来てた」と話し、3階のゲームセンターで初めてプリクラを撮ったことや、フードコートによく行っていたことなども語っています。
映画の舞台あいさつで、自分が幼少期に通っていた映画館に立つ。なんてドラマチックなんでしょう。
永瀬廉のジャニーズ入所〜関西Jr.時代|八尾から芸能界へのルーツ
ジャニーズ入所のきっかけは「自動鉛筆削り器」だった
永瀬さんの入所エピソードは、ちょっと笑えて、でもすごく人間らしくて、個人的に大好きな話です。
きっかけは、お母さんが履歴書を事務所に送ったこと。
当時12歳だった永瀬さん本人は、2018年放送の『VS嵐』で「完全に物で釣られた。オーディションに行って、今に至る」と告白しています。
その「物」というのが、なんと自動鉛筆削り器。
最初は全然乗り気じゃなかったというのは、現在のキンプリ永瀬廉さんからは想像もできない言葉ですよね。
でもそれが、後の「人前に立つことが楽しい」という永瀬さんへと変わっていくわけで、その変化のドラマが見えるようで、なんだかじーんとしてしまいます。
関西Jr.時代と平野紫耀との出会い|永瀬廉 ジャニーズ Jr. 時代
八尾の中学校に通いながら、永瀬さんは関西ジャニーズJr.として活動をスタートさせます。
当時は西畑大吾さん(なにわ男子)、正門良規さん(Aぇ! group)と同期で「Aぇ少年」として活動。
その後は西畑さん、大西流星さん(なにわ男子)と「なにわ皇子」としても活動しました。
今をときめくメンバーたちが、みんな同じ時代に同じ舞台に立っていたと思うと、胸が熱くなりますよね。
そして、平野紫耀さんとの出会いの場もこの時代。
「俺と紫耀は大阪松竹座仲間。関西ジャニーズJr.時代、何度も一緒に立ってきたステージだし、俺らの長い関係もあそこから始まった」
出典:non-no 2023年
BSフジ『まいど!ジャーニィ~』でも、2014年当時から2人の共演が確認されており、ジャニーズJr.時代から積み重ねてきた長い歴史があることがわかります。
東京移籍〜関西の仲間への後ろめたさと上京後の孤独
2015年、親の転勤をきっかけに永瀬さんは活動拠点を東京へ移します。
でも、この移籍は永瀬さんにとって複雑な思いを伴うものだったよう。
2026年3月のインタビューで、こんな本音を明かしています。
当時は関西ジュニアの主力メンバーのひとりだったため、「迷惑をかけてしまった」という感覚があり、本当はもっと仲の良かった関西の仲間と一緒にデビューしたかったという気持ちもあった。
そんな葛藤を抱えながらも、上京後の孤独を支えてくれたのは関西時代の仲間たちでした。
西畑大吾さんから「良い土産話聞かせてくれよ」と送り出してもらい、気持ちが沈みそうなときは西畑さんや正門良規さんと会ったり、電話でつながったりしていたと言います。
東京では「仲のいい人があまりいなかった」と感じながらも、ダンスを磨くために集合時間より何時間も早く現場入りして練習を続けた永瀬さん。
関西で培ったトーク力でMCを任されるようにもなっていきました。
その後、2015年6月には平野紫耀さん、髙橋海人さんらと「Mr.King vs Mr.Prince」を結成。King & Princeへの道が、ここから動き出します。
永瀬廉と八尾〜まとめ|「地元」が育てたキンプリの素顔
最後に、ここまでの内容を振り返ってみましょう。
- 転勤族として各地を転々としてきた永瀬さんにとって、八尾は「初めて同じ学校に通えた街」
- 恩師・右近先生との絆は、今も大阪に帰るたびに続いている
- 中学の親友・西山さんとも変わらずつながっており、実家のお好み焼き屋にも今も立ち寄る
- MOVIX八尾は「覚えている最古の映画鑑賞」の場所であり、映画俳優として同じ場所に立つという縁も生まれた
- 八尾の中学時代に芸能活動を始め、関西Jr.として平野紫耀さんや西畑大吾さんらと青春時代を過ごした
人見知りで、引っ込み思案で、「目立つのが苦手だった」という少年が、今は何万人もの前でステージに立ち、「人前に立つことが楽しい」と言えるようになった。
その変化の根っこには、八尾で過ごした青春の日々がしっかりと刻まれている気がしてなりません。
「気持ちは大阪」と言い続ける永瀬廉さんの言葉は、単なる愛郷心じゃなくて、あの街での出会いや経験が今の自分を作っているという、静かな確信から来ているんじゃないかな。
そう思うと、ますます永瀬廉という人が好きになってしまいますよね。
これからキンプリをもっと深く知っていくみなさんにとって、この記事がそのきっかけのひとつになれたら嬉しいです。
